なぜ、
「大日本帝国が戦争中やったことの中には、本当に『悪い』としかいいようのないことがあった。その被害に合われたみなさん、ごめんなさい。」
と言うことが、「自虐的歴史観」なのか?
人間は間違える。
これまでの人生で、一度も間違いを犯したことがない人なんて、生まれた直後の赤ん坊でもない限りいないはず。
その犯した過ちを謝罪することは、自己否定だろうか?
また、「なぜその行為にいたったのか」ということと、「行為の内容そのもの」は別。
仮に、大日本帝国は国際的にかなり追い詰められた状況にあり、効果的打開策としては領土拡大しか見出せなかったにせよ、またさらに、当時の中国大陸で主導権を争っていた中国国内勢力が、自らの勢力拡大のために大日本帝国の存在を利用しようとした背景があったとしても。
だからといって、「大日本帝国軍が大陸へ進出権利があった」ことにはならない。
大日本帝国自らが決断を下した以上、その決断の責任、結果生じた出来事への責任は、大日本帝国に帰するべきもので、ほかの誰にも転嫁できるものではない(ここで「嫁」という字が出てくることは非常に気に入らないものがある。余談ですが。)。
どのような状況も、日本人の優越性を保障するものではない。したがって、どのような状況も、日本人が他国人ないし他民族に対し、ひどく優越的態度をとっていたことの説明にはならない。
そしてそのような態度は、どう考えたって悪い。
と、私は思うのだけど。
そして、「悪かったよなぁ」と思うことを受け入れ謝罪することは、決して自虐的なこと、自己否定的なことではないとも思う。
むしろ、過去を乗り越えてよりよい未来を築こうではないか!という建設的態度だと思う。(気恥ずかしいフレーズを書いてしまった。)
中国、韓国などから繰り返される反日感情の表明に、私自身、ちょっとげんなりする思いはあるけれど、だからといって過去の悪行を擁護していいことにはならないし。
広島の人たちはアメリカのこともアメリカ人のことも恨んでなんかない、ただひらすら核兵器廃絶と世界恒久平和を願ってるんだから、そろそろ発想を転換してほしいよなぁとは思うけれども、同時に、「人間、自分がやったことは忘れても、やられたことは根に持つもんなぁ、しょうがないかぁ」とも思うし、「ごめんねぇっていい続けるしかないんかなぁ」とも思うし。
反日報道の類に過剰に反応して、自虐だなんだ言い出すのもいい加減ワンパターンよねぇ、とも感じるし。こっちの人たちにも、そろそろ発想転換すればぁ?と思うし。
過去の検証は、よりよい未来を目指すためであってこそ、はじめて意味を持つのだと思う。
大日本帝国を擁護することが、その目的にかなっているとはどうしても思えない。
わたしって非国民かしら。